キック・オフ ストーリー

よしコーチのキック・オフ

トラッソス 吉澤昌好

知的/発達障がい児とスポーツの関わり

こんにちは。吉澤昌好です。 僕は、トラッソスという知的障がい児・者のためのサッカークラブを、友人のみつコーチと創り、組織のリーダーを務めています。 僕たちは、この知的障がい児・者のためのサッカークラブを全国に広めたいという、強い思いがあります。 知的障害のある子ども達は、生まれてから小学校に入学するまでは療育などに通います。もちろん、小学校・中学校まで療育を続けるお子さんも少なくありません。 彼らは小学校・中学校の年代では、学校体育以外のスポーツを経験する機会は極めて少ないのが現状です。

 

実際に関わることの大切さ

トラッソスを立ち上げる前はJリーグのクラブの下部組織でコーチをしていましたが、公立中学校の特別支援学級で介助員のお仕事をさせて頂く機会がありました。 それまで僕の人生の中に、知的障がい児・者達は気にもとめたことも、取り立てて考えたこともありませんでした。 この介助員というお仕事を通して、初めて知的障がい児・者と深く関わるようになるわけですが、初めの頃は、とにかく彼らの言動が不思議で、面白くて楽しい感じでした。 実際に触れ合ってみるまで「不思議な存在」でしたが、触れ合ってみると「彼らの魅力・まっすぐな心」に惹きつけられました。

ある時、僕は一人の少年と出会いました。 彼は、学校が嫌だという理由から登校拒否になり、一年以上も学校を休む日が続いていました。 先生達は、その彼がどうやったら学校に通えるようになるか試行錯誤していましたが、僕がサッカーを出来ることを知り、サッカーの大好きなその少年に『サッカーの先生が来ることになったよ〜!』と言って、彼が学校に来たくなるように促しました。始めの頃は何かと理由をつくり登校しようとしなかった彼が、ある時ふと学校に現れました。彼に『よし‼サッカーやろか⁉』と言って一緒にサッカーを始めると、彼の目はどんどん活き活きとし「僕はキーパーが得意です」「フォワードをやるんです」と自発的で前向きな言葉を発してくれました。

 

サッカーを通してやりたかったこと

昼は特別支援学級で知的障がい児とサッカー、夜はプロサッカー選手を目指す子ども達とサッカーをするなかで、同じサッカーを同じ年頃の子ども達とやっているのに、全く正反対と言っていい程のその違い、そのギャップに僕自身がだんだん苦しくなってきました。プロのサッカー選手を目指す子ども達とのサッカーは、勝つためのスキルを教えるサッカー。 知的障がい児達は、ただボールが回っているだけでも目をキラキラ輝かせ、ニコニコ楽しそうな笑顔を見せてくれます。 その笑顔を見た時に「この子達とサッカーがしたい‼」と強く思いました。一日の中で、両極端な彼ら両方と過ごすうちに、僕は自分の本当の気持ちに気づかされました。僕が本当にしたかったことは何なのか? 僕がサッカーを通して伝えていきたいことは何なのか?

それは『人のつながり』『やさしい社会』。

僕はそのことを、 僕が大好きなサッカーを通して伝えていきたかったんだということを、知的障がい児、そしてプロのサッカー選手を目指す子ども達の両方から、思い出させてもらいました。

 

キック・オフ

そして、僕らは2003年4月に任意団体としての知的障害児者のサッカーチームトラッソスを立ち上げました。 3 名のコーチと11名のメンバーで始まったサッカースクールは、今では5名のコーチと約130 名のメンバーを有するまでに成長し、4つのスクールとクラブチームを運営しています。立ち上げからもう14年、まだ14年です。知的障がい児・者のためのサッカークラブをもっと増やし、そして障がい児・者と健常児・者が触れ合う機会を増やし人のつながりのあるコミュニティを広げて行きたいと思います。

2017年4月 吉澤昌好

みつコーチのキック・オフ

トラッソス 吉澤昌好

知的/発達障がい児との関わり

こんにちは。みつコーチ(藤沼光輝)です。私が初めて知的障がい児と関わったのは、 恩師の勧めで、区立中学校の特別支援学級で介助員を始めたのがきっかけです。最初は受けるつもりもなく、見学だけと言われたのですが、翌週から子ども達と毎日を過ごしていました。私自身がサッカーをやっていたこともあり、サッカーと共に知的障がい児と接するようになりました。

よしコーチとの歩み

よしコーチとは中学からの知り合いです。中学校入学からサッカーで共に汗を流し、学校外でも遊ぶ機会が多かった学生時代でしたが、社会人になって会う機会もあまりなくなりました。久しぶりに会った20代中頃に、「サッカーコーチをやっている」と聞き、まだ指導の経験もなかった私は正直おどろきました。それから、コーチに誘われ、私は特別支援学級に誘い…

時は2002年、「日韓ワールドカップ」をよしコーチと当時の教え子(健常中学生)を連れて観戦に行くと、「知的障がいの世界に子ども達の活動場がないのでは?」とよしコーチマインドに火がつき、特別支援学級でトラッソスの種となる子と出会い、「一緒に知的障がい児サッカーをやろう!」と、現在に至ります。

みつコーチ論

コーチとして私が思うのは:

  • 自分が楽しくなければ子どもは楽しめない。
  • 勝ち負けで、楽しいつまらないは決まらない。
  • サッカーは遊びだ!
  • 「トラッソスに何しにきている?」の回答が「友達と会いに」「電車に乗りたくて」「木登り、ブランコしたくて」でもいい!
  • 笑顔で楽しんでもらいたい 。

ということです。みんなで心から楽しむのがトラッソスです。

キック・オフ

私の好きな人の言葉に、「一生感動、一生青春」というのがあります。

それを真似た「一生勉強、一生成長」という言葉もあります。これは一生勉強しなくてはいけない。と考えるか、一生勉強できる。と、考えるか…

私は、勉強できる。成長できる。と考える。勉強はいつでも始められる。いつからでも始まる。

目の前の大人から子ども、これから出会う子どもから大人、全てにおいて新たな始まり、勉強がある。そしてみんなと共に成長していきたい。 それが私のキック・オフとしたい。

2017年4月 藤沼光輝

まつコーチのキック・オフ

トラッソス 吉澤昌好

知的/発達障がい児との関わり

こんにちは。 まつコーチ(松井基樹)です。 私が初めて知的障がい児と関わったのは、 トラッソスが立ちあがってから、みつコーチにボランティアでの参加を誘われ参加をしたのが、彼らと出会ったのがきっかけです。 その後、よしコーチの紹介で区立小学校の特別支援学級で介助員を始めました。 昼間は介助員で、夕方からはトラッソスの活動をする生活になり、たくさんの知的障がい児と出会うことが出来ました。

現在までの歩み

高校を卒業する時に、子どもが好きで、子どもに関わる仕事が出来る保育士になりたい思いから、幼児保育の専門学校に行きました。 その専門学校でみつコーチと出会いました。 私が専門学校を卒業する頃は、男性保育士の需要がまだ少なく、少子高齢化社会という背景もあり、老人福祉の仕事を始めました。 仕事を始めて数年後に、みつコーチからボランティアの誘いを受けて参加をするようになり、トラッソスとよしコーチと知的障がい児と出会いました。 その後、2009年から神奈川スクールをスタートさせて、東京と神奈川での両方に参加して活動をしています。

キック・オフ

まつコーチの大好きな詞は、相田みつをさんの「めぐりあい」と言う詞です。

めぐりあい

"あなたにめぐりあえて
ほんとうによかった
ひとりでもいい
こころからそういってくれる ひとがあれば "

トラッソスと出会って、まつコーチになりました。トラッソスに出会う前には、みつコーチとの出会いがありました。1つの出会いが別の出会いをつくり、めぐりあいになっていきます。これからも、「めぐりあい」の詞にあるように、 たくさんの人とのめぐりあいに感謝をしながら、みんなで楽しく笑顔になれる活動をしていきたいです。 そのなかで、1人でも多くの笑顔をみていきたいと思います。

2017年5月 松井基樹